夫婦別氏を考える その壱

一般的に「夫婦別姓」という

法案を議論しよう制定しようという機運が一部で高まっている。多数の国民的には減税やインフレ対策のほうに意識が行っているのではないかと思うのだが、”人権派”と称する向きやおおよそリベラルと呼ばれる革新的は志向の方々が支持している、と認識しています。

夫婦が別の氏を名乗ることの問題点

ただ、制定にあたっては非常に大きな問題が避けて通れません。『子どもの姓をどうするのか?』という大問題。

案としては、モメた場合は裁判所にゆだねる。 う~ん、裁判官こまっちゃうよね。

結婚前に取り決めることとする。それについても・・・

いま、三組に一組が離婚しているという現実

親子の姓と親権というものは別物だよね、ひとり親家庭で一緒に暮らす父子もしくは母子の姓が異なるということは問題ないのか?

個人的には『旧姓使用の拡大を図る』ことがもっともベターな折衷案だと考える。もうすでに、パスポートなど公的書類に至るまで新旧の姓を併記できるようになってるし、さまざまな場面でかなり不自由のない状況になっているのです。

さて、このテーマは長くなると思うので何回かに区切って書いてみたいと思う。

次回は、違った角度からの問題提起と自分なりの解決方法についてやってみたい。

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なぜ突然、政治的なテーマに触れるのか?

はい、日本の社会において特に仕事の場面では政治とスポーツの話はやめとけ、とタブー視される風潮が確かにありました。(実際に平成のころ先輩方にそういわれた)

それが果たして正しいのか?

世界のスタンダードは市井の人々も政治について語り合う、時にはディベートを戦わせるのは当たり前で当然のこととして行われています。タブー化することによって政治への無関心や投票率の低さに繋がっていると思いませんか? 実際、投票率が低ければ低いほど『組織票』が力をもち既に議席を持っている政党や議員に都合がいい社会になってしまっているのです。


いま令和の世は色んな立場の方々が自らの立場や利害を超えて声を上げはじめており、段々と世の中が変化しているのを感じています。

まったくの自営業者でありなんのしがらみも無いぼくなんかが、口をつぐんでいることは卑怯ですらあるのではないかと思うようになりました。

僕はある程度、保守的な部類に入る人間だと思っています。が、リベラルの思想やその人たちを非難し否定するものではありません。ただし、”それが愛国的であるかぎり” 愛国心、自分の生まれた国を愛し大事にするという気持ちは右翼の専売特許ではありません。愛国左翼、あって良いんです!むしろ無ければいけない。ただの犬のシャンプー屋さんの戯言を気が向いたら読んでやってくださいませ。

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